ふれふり!

素隠居してお菓子。そして興味がないことは無駄なく。

四十肩の激痛で3日ほど寝込む(恥・・・

湿布と体温計と

いつも3日1回ペースであれこれ書いているのですが、ここ10日ほど空いてしまいました。

死んだわけではありません(そのうち死ぬけど・・・)。

 

実は肩のひどい炎症で、キーボードを打つどころか日常生活もままならない感じになってしまい、ようやく少し回復して最低限の生活ができるようになったのが今日という状態。

 

うーん、、、これまで

・ゼニカネより時間でしょう

という考えで生きてきたものの、今後は

・時間より健康でしょう

みたいになりそうな悪寒。

(体調崩すたびに同じ事を考えている気がするんですけどね・・・回復すると記憶からスポーン!と抜けてしまう鳥頭よ・・・)

 

というわけで、自分の備忘録も兼ねてこの間のコトを書いておきます。

 

四十肩、発症から概ねの回復までの流れ(?)

今回は3週間ほど前から

・右手を背中に回すと肩と二の腕にピリピリと痺れのような痛み(身体を洗うとき等)

があり、「腕ヒネったのかなぁ・・・何かやった記憶にないんだけど」などと

「何もしてないのに壊れた!」というPC障害のようなことを思いつつ放置していたのですが、実はじょじょに痛みがひどく、かつ狭い範囲の動きでも痛みが生じるようになってきていたんですね。

この「じょじょに」というのがくせ者で、毎日少しずつ悪くなって行っているのでそのことを認識、自覚できません。これは結構アカンな・・・(と今あらためて思う)

 

そしてある日、起きたら痛みがかなり激しくなっていて、痛みのせいでもはや右手を動かすことが困難な状態に・・・

これはアカン、医者に行かねば!

 

・・・といった感じの流れでした。

 

右手が動かなくても(左手だけでも)最低限の生活はなんとかなるのですが、痛みのせいでよく眠れないし、身体の他の部位を動かすのにも支障がある状態でした(連れて右肩が動くと、それだけで痛い)。

あまりの痛みにこのまま腕がおかしくなってしまうのではないか?と不安になり、しかたなく医者に行くことにしました(基本、医者嫌い・・・というか、ささいなことで医者にかかるのってどうなの?と思っている)。

 

その後、3日ほど激しい痛みと39度ほどの発熱、猛烈な発汗が続き、4日目に下熱、5日目から痛みが弱くなって薬なしでも(肩に荷重をかけなければ)大丈夫、という状態になって今に至ります。

 

最初の3日は

・痛み止めが切れた状態で肩を少しでも動かすと二の腕に激痛

が走り、痛みを感じるたびに

「1日3回っていうけど1回飲んだら8時間痛みが止まることが保証されているのかこれ? 本当は6時間ごと4回なんじゃないの? 8時間も持たないでしょこの痛み止め、オカシイでしょ!? 」

「本当はギプスとか必要なんじゃないの? 藪医者だったのでは?」

といった八つ当たり的な恨み言ばかり考えていました(草

 

ちなみにその3日間は毎日20時間くらい寝ていたのですが、2~3時間ごとに悶絶するような痛みで目が覚めて、そのたびにもうろうとする頭で「どうしたらいいんだ・・・」「これ、どうなるんだ・・・」とブツブツ言いながら水を飲んではまた「うぅぅぅ」と眠るということの繰り返し。起きてもピヨピヨ状態で頭もほとんど稼動停止状態でした。

 

4日目以降も痛みは続いているのですが、ピキーンと痺れる感じの痛みからズーンという鈍痛に近い感じにじょじょに変化してきています。炎症が小さくなって神経との距離が遠くなってきたってことでしょうかね。

まだ腕を大回しにすると痛いし、重たいものを持つと痛みがありますが、何もしない状態でほとんど痛みがなくなってきたのは幸いで、これならなんとか生活していけるぞという感じになっています。

 

 

四十肩五十肩六十肩というけど、言ってしまえば単なる老化

あまりの痛みで、当初は

「神経が骨と骨との間に挟まってしまったのではないのか?」

「ひょっとして脱臼気味なんじゃ?」

などとよくわからないことを思っていたのですが、レントゲンを撮った医者の見立てとしては

「肩の関節部で炎症が起きている。いわゆる四十肩、五十肩といわれるもの」

とのこと。

別に10歳ごとに症状が出るわけでもキッカリで発症するわけでもないのになんでこういう名称なのか、、、という感じですが、説明を聞く限りは要するに「老化」なんですな。(ちなみに四十肩と五十肩で症状が違う、というわけではないとのこと)

老化だと言われると当たり前すぎて皆がっくりくるから、一応四十肩とか名前を付けてそれらしくしている、という感じかなと(個人的見解)

 

ちなみにこの四十肩というやつ、炎症の位置?によっては「痛みはないけど腕が上がらない」みたいなパターンもあるそうです。

痛みに苦しんだ身としてはうらやましいけど、痛みがないのに動かないというのもそれはそれで不気味な感じで不安になるなぁ・・・

 

備蓄があって助かったけどいつかその備蓄すらうまく利用できなくなる日が来るかも

ソロもんの自衛として、こういうときのために水や食料といったものは買い込んでおり、この間も物資的な意味で生活に困ることはありませんでした。備蓄はまだ大量にあるため、今回、回復したあとの補充も少しで済みそう。

(もっとも、最初の3日くらいはほぼ水だけ飲んでるような生活だったのでそれ以外のものはあまり減っていない・・・)

 

一つ、んー?と思ったのはペットボトルの口を回すのが結構大変だったこと。

左手で回せばなんとかなったのですが、ふだん利き腕である右手ばかり使っていたため左で回すのには慣れない感じでした。もちろん左手の親指だけでクルッと回すようなマンガのような指力(?)はないので、本体側を太ももで挟むとか、何かで固定する必要があります。

あのスクリュー式のキャップというのは効率的な構造である一方、身体的に脆弱になると結構なハードルになると感じました。

 

今後老人が増えて、あの固いキャップを回せない人が増えてくるとまた別の仕組みが必要になってくるのかも・・・(老人はペットボトルを使わない、的な方向に行くかな?)

 

あ、あと今の備蓄にはゼリー系のものがまったくなかったので、そういう備蓄もあったほうがいいかなと。

 

 

ヒマはあるけどやることがない老人たちのカラオケ大会(誰も聞いていない)

「(生きていても)これといってやりたいことがない」「とにかく無難に過ごしたい」みたいな話(直接そうは言っていないが、実体はそういう話)を聞いても「本人の選択だから別にいいのでは?」的な感じで無関心なスタンスでした。

(もちろん「やりたいことがある他人の足を引っ張らないでね」という条件はつくが・・・問題なのはそういう人は相手も自分と同じだと思っていたり、誰かがどうにかしてくれると思っていて、話をしているだけで無意識的に足を引っ張ってることが多かったりするん点なんだけどね・・・)

 

やりたいことがない老人の話は以前も少し触れましたが・・・

2020free.com

 

今回、自分も久々に結構な長丁場で(やりたいことを完全に中断して)心身の回復のためダラダラと過ごしたのですが、いやー、こういうのは本当にシンドいなと感じました。

特に熱が下がって(1日20時間もの長時間は)寝られなくなってからは、いわば強制的に「(生きていても)何もやることがない人」になったわけですが、そうはいっても置物みたいにボーッとしているわけにもいかず、ふだんはあまり接しないネットニュースだとかSNSだとかを見ることになりました。

大半は「コタツ記事」「コピペ記事」や、「「が」が「か」になってしまっている」ようなコピペ失敗記事(スキャンした際に濁点を落としちゃった?)で、内容も「つまらないうえにくだらない」ので見るに堪えないのですが、他にやること(≒やれること)がない状態だと、その許容範囲がいくらでも下の方に広がっていくのを感じます。

思わずヤフコメ民になって演説大会(俺の話を聞け~的なカラオケ大会)に参加してしまいそうになりました。

 

こういう姿を見ていると、悠々自適な老後なんてものはごく一部の適性(無職適性?)のある人たちだけのもので、やりたいことがないとか無難に過ごしたいって人は身体の動く限り労働に従事していた方がまだ幸い(マシ)なのかなって感じがしますね。

 

これは別に他の誰かがどうのということではなくて、自分自身も同じで、今はやりたいこと、やれることが多くて時間が足りない状態ではあるのですが、そのうち気力、体力が落ちてきて何もやりたくない、やれることがないみたいな状態になったときには、何か強制的に外部の力で身体を動かしていく必要があるのだろうなぁと感じた次第です。